電話占い 浄恵(じょうけい)

イタコ人生録

イタコ、その生い立ち~つらい幼少時代からの光明~

はじめましてこんにちは。私は今、電話占いサイト浄恵でイタコとしてご相談者様のお話を聞き、様々なお悩みを解決するお手伝いをしております。そのお悩みは、恋愛問題から人間関係仕事のトラブル等、多岐にわたります。例えば、報われない想いを叶えたい、元彼・元夫との愛を取り戻したい、運命の人と巡り会いたい、義理の母との確執を無くしたい、幼い頃にいなくなった父に会いたい、自分の天職を知りたい…。皆さん、それぞれに深刻な悩みを胸に秘めてご相談されます。そんな切実なお悩みを、イタコとして私が持っている最大限の霊能力で解決するお手伝いをさせていただいているのです。
今でこそ、電話占いを通じて多くの悩める方を光輝く未来へ導くお仕事を生業にさせていただいておりますが、私のイタコとしてのこれまでの道のりには様々な困難がございました。今ではその困難でさえもご相談者様のお悩みに心の底より共感し、解決するための経験だったと思うことができます。しかし、その困難の過程では、私なりに深く悩み、傷つき、幾度か死さえも覚悟したことがございました。私がこれまでどのような道のりで今のイタコという立場にいたったのか、その間の様々な困難を克服してきた経験が、どなたか今現在悩んでいらっしゃる方の励ましに少しでもなればと思い、ここにお話することを決めたものなのです。

イタコとは~イタコの歴史と役割~

私の生い立ちをお話する前に、まずはイタコという職業が一体どのようなものなのかをご説明させていただきたいと思います。普段、霊的な世界にあまり関心をお持ちでない方でもイタコという名称程度ならお聞きになったことがあるでしょう。 イタコはシャーマニズムの信仰に基づいた霊的な特殊能力を備えた者を指します。その霊力で死者や行方不明者の霊を自らの体に降ろして憑依させ、霊の言葉を直接その口から相談者に伝える役割、つまり、依代(よりしろ)としての果たすのです。東北地方の限られた区域で出生した女性だけがその職業につくことができます。師匠であるイタコに師事し、厳しい修行の末、その霊的能力を高めて一人前となります。イタコの多くは目が不自由な場合が多く、これは視覚に不自由を抱える女性が経済的自立をするための方法の1つとしてイタコという職業を選択せざるを得なかったと言う歴史的背景もあるようです。さらに言えば東北地方は、過去の歴史を見れば、その厳しい環境条件からたびたび飢饉に見舞われるなど、貧しい暮らしを強いられていた地域でもありました。そういった過酷な環境の中では生活に余裕がなく、子供の面倒を見られなくなった親が、子供を寺やイタコの元へ出す、口減らしがたびたび行われていました。それがさらに体に不自由のある子供ならなおさらのこと、その口減らしの対象にされてしまっていたのは想像に難くないでしょう。そんな時代背景の中、体に不自由を抱えた女性が生き延びるためには、まさに自らの命を賭けるほどの思いで苦しい修行を積み、霊能力を高めてイタコとしての霊能力を獲得する他はなかったのです。
逆説的に言えば、このような辛い環境の中でイタコとしての技能を高めたからこそ、本当の霊能力を身につけることができ、ご相談者様の心の悩みを理解し、求める霊をその身に降ろすことができるようになるのだと言えるかもしれません。目が不自由であることでその他の感覚が研ぎ澄まされ、霊との交信もうまく進むのです。
実は私自身も全盲ではないものの、ほとんど光を感じることはできません。しかし、このイタコとしての霊能力のせいでしょうか、ご相談者様の声を聞いただけでその姿や性格、悩みごと、お話をしたいと願っている霊のことまで、大体の事が手に取るようにわかるのです。イタコは、ご相談者様の希望する霊を降ろすという霊能力の他にも、いわゆる霊視といった技能も身につけているのです。

イタコ霊能力者である私について~生い立ちとイタコとしての独立~

それでは私がこれらの霊能力を身につけ、今では一人前のイタコとして、様々なご相談に乗る立場にどのようになったのかをお話したいと思います。私は下北半島の小さな集落、細々と農家を営む家庭の中で兄弟の6番目として生を受けました。実は産まれた時には目に障害はありませんでした。私の実家は小さな農家にも関わらず、子供が多くあったのでその暮らしぶりは、それはそれは貧しいものでした。しかし、父がいて母もおり、家族で揃って暮らせるということだけに幸せを感じ、貧しいながらも家族で身を寄せ合って必死に生き延びていたのです。
物心ついた時から、私には他の人には見えないものが見えることがありました。小さいながらも稲作を行っている農家だったのでいくつか田んぼがありましたが、その稲穂に小さな精霊がついているのが見える事があったのです。不思議なことにその精霊の機嫌の良い田んぼからとれた稲は、味もよく高値で取引することができました。逆についている精霊に元気のない田んぼは病気にかかる稲が多かったり、収穫量が少なかったりと問題を抱えていたものです。母によると、似たような能力を私の祖母も持っていたようなのです。私が5つになったある年のことでした。私がいつものように田んぼを見て回っていると、田んぼの精霊という精霊が皆、グッタリとして息も絶え絶えの状態だったのです。私は驚き、すぐに両親に伝えました。詳しく調べてみるとそれまでに見たこともない害虫が稲に着き、深刻な状況に陥っていたのです。家族総出で様々な対策を打ちましたがついに、改善することはできず、全ての稲が死滅すると言う事態になってしまいました。それからはもう悲惨でした。唯一換金できる稲の収穫が絶望となり、そうでなくても毎日ギリギリの生活でしたから、もちろん食料お金ともに蓄えは全くありません。そればかりか、農作業機器を購入するために負った借金がまだかなり残っていたのです。両親は家族を養うため、また借金を返すために必死で働きました。私たち子供もできることを行い、なんとか全員で生き延びようと努力したのです。
しかし、そんな苦労の中で無理がたたったのかその1年後に父が病にかかり、他界したのです。その病は伝染病でした。その半年後には、同じ病で母も亡くなりました。もちろん病院にかかるお金もなく家族が次々に倒れて死んでいきました。残ったのは長兄と末っ子の私のみ。長兄も私もかろうじて助かったものの、私は病による高熱の後遺症か、目がほとんど見えなくなってしまったのです。さらに襲いかかってきたのは借金取りでした。私たち子供だけの力では毎日、家に取り立てに来る借金取りに抵抗できるはずもありません。毎日毎日執拗な取り立てに私の兄も追い詰められ、こんなつらい思いが続くのなら2人で死んでしまおうと思ったものです。しかし借金取りは死ぬことすら許してくれませんでした。ついには唯一働ける兄が、借金のかたに自らの身を差し出すことになってしまったのです。
いよいよ兄が家を出る前日、私は兄に連れられ、ある女性のもとに連れて行かれました。そこは下北半島で昔からイタコを生業としている女性でした。まだ幼く、さらに目の見えない私の身を案じた兄が最後の手段としてイタコとして生き延びる道筋を残してくれたのです。私の師匠となったイタコは母よりひと回り上の女性でした。生まれながらにして全盲で彼女も様々な苦労を経て、イタコとしての技能を身につけ、長年下北半島の奥地で多くの悩める人々を導いてきたのです。彼女は私の生い立ちを憐れみ、母のように優しく迎え入れてくれました。しかしその反面、修行は厳しく、修行中に失神することさえ何度もありました。しかし実は、あの極限状態にまで自分を追い詰めることこそが一人前のイタコになるために必要な過程の一つだったのです。イタコとしてその身に霊を降ろし、話をさせるためには自身がトランス状態になる必要があります。そのトランス状態を引き出すために自分を極限状態にまで追い詰め、いつでも霊と交信できる状態のための準備として修行を積むのです。
また、イタコには、霊を降ろす際に唱えるまじないの歌、巫歌というものがあり、その数は40から52まで登ります。イタコは基本的に目が不自由ですから、その巫歌は明文化されておらず、口頭で伝えられます。それは巫歌の習得をはじめ、様々な修行の結果、最終的に一人前のイタコとなるための通過儀礼、イニシエーションとして「ダイジユルシ」という儀式が行われます。私はそこで極度のトランス状態に自分を追い詰め、魂の昇華が達成しました。そしてようやく一人前のイタコの証、「イラタカ数珠」を師匠から譲り受けられたのです。 こうして、公私にわたり言う面倒みてもらった師匠の元から独立し、下北半島でイタコとしての活動を始めたのですが、幾数年にわたって多くの相談者の方と面談をし、私の霊力でお悩みを解決していくうちにある種の限界を感じてきたのです。それは、私の実がこの東北地方のさらに最果て下北半島に置かれているという点で、相談者様に制約を与えてしまっているということでした。どんなに苦しい悩みを抱えていても、この地まで赴いて来ることすらままならない方は数え切れないほど多くいらっしゃいいます。私には幸い、イタコとして際だった霊能力でご相談者様のお悩みを解決することができます。深い悩みを抱えている方は全国にいらっしゃるはずです。私のもとに訪れて来てくださる方ばかりではなく、全国全ての悩める方に、私の霊能力を使って幸せになって頂きたいと考えたのです。

イタコとしての天命~電話占いとの運命的な出会い~

そんなある日私の元にある依頼が舞い込んできたのです。それこそが今私が在籍している電話占い浄恵からの便りでした。私のイタコとしての霊能力を、多くの悩みを抱える方のために貸してもらえないかという内容でした。折しも同じことを考え始めていた私にとってそれは願ってもいない申し出でした。一も二もなくお誘いを受け、今では電話を通じて私が願っていた通り、全国各地のご相談者様のお話を聞くことができるようになったのです。
電話は回線を通じてご相談者様の悩める思いが直接的に伝わってきます。じかにお会いするのと同じくらい、ご相談者様の悩みや願いがひしひしと伝わってくるのです。イタコである私が降ろせる霊は、死んだものの霊ばかりではありません。例え生きているものでさえ、つまり生霊でさえも呼ぶことができます。電話占いでご相談を受け始めてから、恋愛の悩みも多く頂くようになりました。 例えば、離れてしまった男性の心を戻したいという希望であれば、お相手の男性の霊を私の身降ろして魂結縁術をかけてお相手の心をご相談者様の元に呼び戻すこともできるんですよ。このように私の力を使って頂き、ご相談者様の希望を叶えた例は、すでに数百に上ります。
電話占い浄恵との出会いがなければ、このような多くのご相談者様に会う機会もなかった事でしょう。私にとって、電話占い浄恵との出会いはまさにイタコとして霊力をさら発揮できる、運命的なものだったと感じています。これからも電話占いを通じてイタコとしてお悩みを解決し、相談者様を幸せへ導いていきたいと考えております。

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